東京でヨガを続けるのが難しい理由

またライフサイクルの中で、いくつかのチャクラが開き、自浄作用が働いて、若い自分が息を吹き返したのを感じた。

 

ヨガを一時、徹底的にやった経験は、そこから離れてもたまにこうして私に教えをくれる。

 

うーーーんと背伸びをして、左右に広がったものを真ん中で束ねて、すっと立てる…。足先。つま先と土踏まずとかかと。柔らかく地を踏もう。

 

右膝がパキッと一度鳴って、正しい位置に戻った。上体の前後もすんなりとあるべきバランスに。

 

そして軽く柔軟。

 

さて、一日がっつりと仕事をして、夕飯はコンビニであっさり麺とゆで卵と豆サラダを食べた。帰りの電車で音楽を聴きながら耳を澄ます。電車の駆動音、人のささやき、イヤホンのインストゥルメンタル、目をつむったままあるがままを感じる至福の時。

 

そこにツンと臭い。近くに若い男の背中が来た。左の人からはわずかに甘ったるい臭い。

 

香料を調合する仕事の人は地下鉄は臭くて乗れないらしい。臭いは粒子。ホコリも粒子。呼吸とともに身体に入ってくる。

 

これはシャットアウトだ。感覚を少し鈍らせないとやり過ごせない。

 

そうして私は、意識を狭め、呼吸を潜めて時を過ごしつつこれを書いている。

 

こんな時間を朝晩と過ごさなくてはならないのだから、まったくもってヨガを健全に続けられる気が失せてしまう。

 

やるならば、セッティングのできる自室でのわずかな時間だけになるかな…