同じ話を2回していいスイッチ

二十代の半ばであったと思う。
姉が、前にしてくれた話をまたしてきた。
それまでの私にとっては、同じ話をあちこちで言う機会も少なかったためか、ある話を誰に伝えたか伝えてないかは明確に記憶していた。
だから、数週間前に聞いた話を全く同じ展開でしてくる姉がとても不思議に思えた。
 
それから十年ほど経って、母親は還暦を迎えようとしていた。
今日あった可笑しかった出来事を楽しそうに話す母。
話はオチを迎え、ややウケで、話し終えた母は、もう一度頭からその話を始めた。
同じ展開、そしてさっき聞いたオチ。もっとウケない。うん。うん。
母はきっと「ちょっと上手く伝えられなかったから、少し切り口を変えて補足しよう」と思ったはずだった。
しかし人の悲しいところで、同じ思考回路は同じアウトプットとなってしまう。
 
さて、私も三十路を迎え、色々な人と絡むようになるうちに、誰に何を話したかなんて気にしなくなってきた。
というか前述したような「同じ話を何度もする人」が少なからず居ることが免罪符となっている気がする。
 
これは人生におけるスイッチのようなものだ。同じ話を2回していいスイッチ。
 
意識的か無意識か知らず、私はそのスイッチをONにして生活している。
さっきいなかった人もいるし、さっき聞いてなかったかもしれないし、「二度目だな」と思われたとしてもそれって聞く側にとってそこまで大きなストレスではないし。
そして自分が二度目を聞く側にまわった時は、まるで初めて聞きますみたいなリアクションをするようになった。
 
「知らないことを知ったかぶりすると運が逃げていく」
「知っていることを知らないふりをすると運が舞い込む」
みたいな趣旨の格言があった気がする。
それはジンクスというよりは自分が接する周囲の人間の快不快のコントロール。
または自分のメモリ解放。雑談や与太話に割く記憶域は無駄という割り切り。
 
今日もビールがうまい。