英語教育に思う

中二の夏、隣のクラスの担任でもある熱血英語教師が小話を始めた。

「次の文を過去形にしなさい。"I am a boy. " …っていう問題がありました」

ん?

なんの話か唐突でついていけません。

「これにある奴が "I am a boied. " って答えたんだ」

えーと。

「わかるか? だから、正しい答えは "I was a boy. " だろ?」

あぁそうか、うん。

「それなのにそいつは、『末尾が y の動詞を過去形にする時、y を i に書き替えてから ed を付ける』という決まりを boy にしてしまったんだ」

あー、なるほどねー。

「面白くないか?」

面白くないよ!

 

今にして思えばこんな簡単なセンテンス。

知識というより『慣れ』だけでわかるべきレベルに、そもそも親しんでいない生徒。

ルールを振りかざしルールで塗り固め理詰めで教える教師。

 

わたしたち生徒はなぜか萎縮していたし、英語というパズルに向き合わされていた。

教師は頑張っていたけれど、そのアプローチが生徒に届かない。

何が食い違っていたんだろうか?

 

いま出来ることならば、そういう年齢の子供たちを相手に、英語に親しむクラスをやってみたい。

boy は「ボーイ」だと思わず「ボイ」だと思ってもう一回読んでみよっか、せーの、とか、was だったよってことを言いたいんじゃないかなここは。だから「ワァズッ」って大げさに言ってみようか、みたいな感じで自由に解釈してしゃべって良いんだよって教えたい。

簡単な、効果的な言い回しに繰り返し慣れてもらったりして、外国人に道を聞かれたら身振り手振り、何とか意図を伝えられるようになってほしい。

正解、という発想から離れて伝達を目的にしてほしい。

 

言葉を教えながら、自分もたくさんのことに気付いていきたい。そんな妄想をしている。