スマホゲームからの解脱

お盆の連休が少し忙しくて、最終日に少しだけ自分の時間が取れた。
そしてそのときポロリと、ゲームへの執着が音を立てて外れた。

ログインボーナスとか要らん。
スタミナが溜まりきってても構わん。
イベントが今日の24時まででもあーそうかい。
とにかく、ゲームには時間を捧げたし見返りも得たけれど、これ以上そうしても意外なことは起こらない。今は。そう今に限っては。

ソーシャルゲームと鳴り物入りで登場したこれは、人口だけ見ればゲームの主流と言える。勝手に自分のコレクションをして楽しんで、他のユーザと貸し借りしたり、グループ組んだりチャットしたり。
その目的は、他のユーザより秀でることで、他のグループを打ち負かすことで、さてその先には何も無くて、続きはいつか運営会社が作ってくれる。
満足はあれど感動は無い。

ゲームとは探究心の遊び場で、みんな「その先には何があるの?」を知りたい。
ソーシャルゲームは終わり無き試行錯誤。インフレと飽和を繰り返して肥大化細分化していく世界。最初に感じるシンプルな美しさは埋もれ、陳腐な数値とアイコンの蓄積になりかわっていく。
失うことで得るのが道理の世界で、膨らみ続けるゲームは美しさを失う。連載が長続きしすぎた漫画のように。

今後いつか、新たなブレイクスルーが生まれ、新たな体験を得られるゲームが生まれるだろう。それまではもう、ただこのパターンを繰り返すだけだ。レアだスーパーレアだ合成だ進化だのワンパ消費構造。属性ジャンケン。

ゲームそのものの世代交代を待って、そうしたらまたここに戻ろう。